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12月2日のこと [B塾を辞めて…]

投稿予定で、下書きになっていた記事です。

今年もまた、この日が来ました。でも、あれから何年経ったのか、もう忘れてしまいました。

ただ、今年は土曜日。塾を辞めたあの日も、土曜日でした。
寒い寒い土曜日の、白い壁と天井しか見られなかったあの時間。
心の奥底を何度もえぐるような、たくさんの思い出がリフレインして止まらなかった。

その後の、果てしなく続く様に思えた、分厚い雲のかかったような日々。
熱いシャワーと一緒に流したたくさんの涙。

たくさんの約束を、守れなくてごめんね。
築き上げた信頼を、裏切ってごめんね。
未熟すぎた、とつくづく思います。
あれからどれだけ過ぎたのかわからないほどの時間が過ぎた今でも、一年に一度のこの日に、
あの時を思うと、胸がぎゅっと痛み、涙が出ます。

あの頃の中学生たちはもうみんな社会人。
中には父母となっている人達がいてもおかしくない歳です。

毎年のこの日、受け持っていた全ての生徒のことを想います。
今どうしているかな。幸せでいるかな。私の中でのあなたたちの姿は、中学生の時のまま
止まってしまいました。

二度と重なることのない道。けれども、どこかで確かに同じ時代を生きるあなたたちが
幸せであることを、ただひたすらに祈る12月2日です。
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8周年 [B塾を辞めて…]

十二月に入り、ぐんと寒くなりました。
B塾を辞めたあの年のあの日も、寒い一日でした。

昨年は、ブログを書いている精神的余裕はなかったように思います。←子育てで。

昨日で、B塾を辞めて八年が過ぎたことになります。

もうあまりにも、昔のことすぎて、細かいことはこのブログを見なければ思い出せません。
ただ、あの時の「感覚」だけは今も残っています。

あの時、思いました。
十年たったら忘れられるかな?と。

八年過ぎて言えることは、十年たっても忘れない、ということ。
それほどまでに、大きいことだった、ということ。

そして、私はやっぱり、場所を移せど同じ世界にいて
きっと、十年目も同じ世界にいるのだろうということ。

今日は、T先生と子連れで会っていました。
今思えば、授業後の塾の教室や、深夜のファミレスで笑い転げていた日々は
青春でもあったのかもしれないと思います。
だからこそ、尚更忘れられないのかな。

互いに結婚し、家庭を持ち、親になり…。
不思議な気がします。
八年。長いような短いような。

一年に一度。
あの年の生徒達の顔を必ず思い浮かべる日。
みんなが幸せでありますように。




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忘れていた六周年 [B塾を辞めて…]

12月2日。
朝からもやもやしていました。

なんだっけ、今日…。

誰かの誕生日?記念日?

わからないまま一日が過ぎ。

今朝気付きました。


六周年だった!!!

B塾を辞めてから六年が過ぎたのでした。

忘れることのなかった日を忘れられたことに、時の流れと、そして、時が解決してくれるものの大きさを知りました。

あれから六年。
つまり、あの時担当していた最下級生でさえも、高校生になっています。
あの時の中3は、21歳。もう成人しているのですね。

どんな大人になっているのでしょうか。

あの頃、密かな夢がありました。
いつか彼らが成人したら一緒に飲みに行きたい、と。
それは叶うことのない夢。

あれから、六年が過ぎて、周りの環境も自分も大きく変化しました。

20代だった私は30代となり、生徒とよりも保護者との年齢の方が近くなりました。

あの頃は、生徒の気持ちに近かったのですが、保護者の気持ちに近くなりました。


あの時のあの距離感や躍動感は、あの年齢だったからこそ味わえたものなのだと
今、つくづく思います。

だから、この先二度と味わうことはできないのだ、と今、改めて思っています。

B塾を辞めてから、もう一度あの感覚を味わいたい、ただそれだけを思っていました。
けれど、それはもう叶わぬこと。

諸事情により、私は三月で一旦、仕事を辞める予定です。
詳しくは近いうちに、この場に書くつもりでいますが、私の中で今年度は、大きな区切りの年になります。
勿論、この仕事も世界も大好きです。
この世界以外に、私が生きる道は見いだせないと思いますし、生き甲斐でもあります。
再び状況が整い次第、必ず、戻ってくるつもりです。
そして今度は新たな立場で、新たな形で、再びあの時と同じくらいの感覚を生み出したいと思います。
あの時と同じ状況にはなれなくても、同じ内容ではなくとも、形は違うとしても、
あの時と同じあの熱い感覚だけは、もう一度味わいたい。
それが、六年たった今も変わらぬ願いです。

まずは、この区切りの年に、悔いなく最後の生徒たちを送り出せるよう全力を尽くしたいと思います。

あれから六年。

どうか、あの時の私の大切な生徒達が、みな、元気で、幸せでありますように…。







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5周年 [B塾を辞めて…]

B塾を辞めて、五年の月日が過ぎました。

今日は、あの日と同じように小雨の降る曇り空です。

奇しくもあれからちょうど5年目の今日は、Mちゃんの大学指定校推薦入試の発表日。
お昼に、Mちゃんから歓喜の電話がかかりました。
「受かったよーーーーー」

弾む声。
良かったね、と答える私の声も弾む…あの日からは連想できなかった今もここにある縁。

そして本当は切れることなんて望んでいなかったたくさんの生徒達との縁。
大切にしていた生徒達の顔は今もあの頃のままで、思い出されます。

こんなに時間が経っても、尚、胸を締め付ける思いは残ったまま
きっと、時とともに薄れゆくとしても、消えることはないのでしょう。

それでも、5年の月日は、なくしてしまったいろいろなものを
それなりに取り返してくれました。

今年は少し違う視点から、5年間を振り返りたいと思います。

あの年の夏、私は、結婚を考えていた遠距離恋愛の彼と別れていました。
それは、この地にとどまり、塾を続けたい、という思いからでもありました。
まさかその年に、塾も恋人も失うとは予想すらしていませんでした。

そしてあの日、私は、当時仲良くし始めていた男性と会っていました。
その人と、付き合うのかな?なんていう、淡い思いを胸に。

入社一年目だった彼からは、よく彼の会社の話を聞いたものでした。
けれど、あの辞職で、私は一気に恋愛する気持ちもなくし、
そのまま彼とも疎遠にしてしまいました。

これまた奇しくも。
私の結婚相手は、あの時の彼と同じ会社の人です。
その社名を聞く時に、ふと、あの日の、あの夕方の
塾に呼び出される前の瞬間を思い出します。

あの時に電機屋さんで買ったコテの調子が最近悪くて、
ああ丸五年経ったのだ、と気付きます。

そして、あの辞職後、私は、様々な思いを胸に
どうしても、もう一度、思いを込められるような塾に出会いたくて
家庭教師をしながらも、様々な塾を探していました。

そんな中、辿りついたある塾のHPは、未熟な作りながら
魅力的なポリシーを持つ出来たての塾で、その後、私はその塾の経営者と付き合いました。

彼と付き合ったのは一年半ほどだったでしょうか。

彼との付き合いの中で、
私にはかなえられなかった塾への想いを熱く語りあいました。

理想的な塾が、彼の手によって実現されていく様を見ながら
B塾での確かな記憶と経験をもとに、たくさんの文章を作りました。

たくさんの想いを話しあい、共有したと思います。
時にぶつかりあうことがあっても、そこに相手のポリシーを感じ、
自らの想いを再確認し、そして、私は
ああ自分の経験は無駄じゃなかった、今、役に立てている、そう思うことで
いわば、傷を癒すことができたのだと思います。



彼の塾の看板が、県内に広がり、営利目的の塾が淘汰されていくことが
いつしか私の夢になってもいました。

その後、私たちが別れたのは、塾とはある意味無関係なところにあり
そこに悔いはありません。

ただ、あの時だったからこそ、
私はきっと出会うべくして彼と出会い、
くすぶっていた思いを、癒し、カウンセリングのような日々を過ごせたのかもしれないと
そんなことを思っています。
別の形とはいえ、尊敬できる塾に関わり、想いを込められる機会をくれた彼には感謝しています。

そして、今は離れていますが、彼の塾にはやはり、成功をおさめてもらいたいですね。

あの辞職の日。
5年後は、忘れていられるんだろうか
5年後は、少しは幸せだと思えているんだろうか

そんなことを、ぼんやり考えていました。

後悔はあります。
あの時のあの生徒達と日々を、あのやりがいを
今も持ち続けていられたら…と。

けれど、確実に霧は晴れ、違った未来も明るく輝いていると信じられます。

明けない夜はない、という言葉を
改めて噛み締めています。













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羨ましい…涙が出るほどに [B塾を辞めて…]

今日は、講師としての立場ではなく、個人的な感情を書きます。

辞職後もずっと仲良くしているT先生。

彼女は私が辞めた数ヶ月後、表向き穏便に塾を辞めました。

だから、彼女は今も、当時の生徒と会っています。

今年大学生になった、当時私たちが一番手をかけてきた中2。
そのうちの一人M(呼び捨てではなく愛称)と、食事に行ったそうです。
彼は、私の担当生徒でもありましたが、何よりもT先生に懐いている子でした。

その彼が、車の免許も取って、送迎もしてくれたそうです。
その中で、私がどんなにもがいても知ることのできない
当時の生徒達の、その後の進路を、聞いてきたようでした。

AくんのライバルでもあったKくんはある専門職の道へ。
Kちゃん、Aちゃんはこの地域のトップ私大へ。
Sくんは、Mと同じ大学へ。

ああ懐かしい。
懐かしすぎて涙が出る。

一人ひとりの名前も顔も、蘇る。
もう思い出すことなんてなかったのに…。

涙が出るほど懐かしいその名前の数々を…
私はどうしたって知ることができない。
聞く権利さえない。

そのひとつ上学年の、私が責任放棄した中3の未来を
知りたくて知りたくて、今どうしているのだろう、
どんなに思っても知ることもできない。知る権利もない。
Mちゃんのお兄ちゃんであるKくんに聞けばいいのかもしれない。
けれど、その権利はないような気がして、ずっと聞くことも、その話題に触れることもない。


ただただ、毎年訪れる天満宮で、その年の受験生の合格を祈りながらいつも最後に
皆が幸せでありますように、と祈ることしかできない。

冬に、Aくんと交わしたメールをきっかけに、
あれから半年ほどして、そういえば大学どうなったのだろうと思い立ち、ふと先日メールをしました。
志望大学には落ちて、とある私大の専門学部へ進んだとのことでした。
医学部ではありませんが、お世辞抜きに、「凄い」と言える、理系専門職を目指すための学部です。
本人は、納得の行かない大学だったようですが。

数通のメールをやり取りしましたが、ただそれだけ。会う約束をするわけでももちろんありません。
私が辞めた後、塾内で、変なうわさが流れたことも私は知っています。
それは、私が、Mちゃん(後に家庭教師をして、このブログでも書いている高3の生徒)の家に
勝手に押しかけた、というもの。
勿論正確には、Mちゃんとお母様からの電話を頂いてお邪魔したのです。

もし、ただ単に、何事もなく塾を辞めたのであれば、
もっと気楽な関係を築けたのかもしれない。けれども…。
悔しいです。

大学合格後に、
「先生に報告があるんだ」と電話をしてくれたというM。

「イケメンになってたよー」「やっぱり、中学生の時と同じまま、かわいいよー」「でも感慨深いよ」そんなT先生のメールが胸に刺さります。

自分にはどうやっても、叶えられない、夢。

元家庭教師先の生徒達と、食事に行けた時、
叶えられなかった夢を一つ叶えられたようで本当にうれしかった。


それでも、あの頃の生徒達と築いたような関係は
やはりどうしても築けないし、それは、私自身の変化であり成長であり
当然のことなのかもしれないのですが、やはり、あの頃の生徒達と
お酒を飲み交わせるような関係になれていたら、という思いはとめどなく…。

高校での生活を聞き、写真を見せてもらい、
大学での夢を知ることができる…つまりそれは生徒達のその後の成長を
知ることができる、ということで、それは、B塾時代に叶えられなかった夢。

事の是非はさておき。


ただただ。

ただただ。

羨ましくて悔しい。
涙が出るほどに。
本当はいつまでも見ていたかった。
初めて母性本能というものが自分にも備わっていることを教えてくれた…全身全霊を賭けて向き合ったた生徒達の未来にも関われるということ。



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振り返れば [B塾を辞めて…]

本日二度目の更新。少し、自分の思いを書かせてください。
とりとめのない文ですが。


長い時が経ちました。
あれから四年目、辛すぎて読めなかった時期のB塾のHPの記事を今、読み返しました。

私たちが辞めた後。
あの塾では、色々なトラブルが起きたそうでした。

そのトラブルの大半は、後に家庭教師をしたMちゃんから聞いてもいましたし
T先生が連絡を取り続けていた生徒が、T先生に話したことからもうかがい知れました。

その中で、何人かの生徒が、塾を去ったことも聞きました。

当時のHPの記事からはそんなトラブルをうかがい知ることはできません。

多分、私が苦労したように、B塾の塾長も、それなりに苦労の時を過ごされたのではないかと思います。

今なぜ、あの頃のことを思い出すかと言うと。

慢心に入る時期だと感じているからです。
家庭教師を始めて四年目。
手探りだった受験指導も、私なりに改善を繰り返しながら、形が整い、
これまで全ての生徒が第一志望校に合格、と、自信もついてきました。

こういう時期が一番怖いと思います。
小さな世界で、大きな自信をつけてしまうことが。

あの時あの塾で、確かに私は
自分は人気もあり、指導力もある、と慢心していました。
T先生も指導力があり、人気があったために
担当生徒数も多かった私と彼女が仲良くすることで、一部の講師にとってやりづらい環境を生んでいたことは
間違いなかったのだと思います。
井の中の蛙とはまさに当時の私のことでした。

一講師の立場でありながら、塾を牛耳っていた…とでも言えたでしょうか。

あの時、突然辞めていった短期間勤めた講師が、最後、塾長に、事実とは異なる、私たちについての話をしていきました。
それを信じた塾長から、私は辞めることを暗に「促されたわけですが、
その中には事実も含まれていました。
それは「エイミー先生とT先生がいることは、この塾にとってマイナスだ」との台詞。

確かに。そうだったのだと思います。

自分は、決して被害者ではなく、加害者でもあったということ。
恥ずかしい限りです。

慢心は破滅の元。
常に謙虚に、学ぶ姿勢を忘れることなく。
日々精進。







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4周年 [B塾を辞めて…]

あえて華やかなテンプレートに変更しました(笑)

今日、問題のお宅の家庭教師でした。

予想通り、お母様にはかなり文句を言われました。
駐車場を空けてはくださいましたが、
「駐車場がなければやめるつもりだったんだって?」
「先生の人間性はわかってるつもりだからさ、気に入ってるし。
そう云う点もしっかりした人なんだろうって思ったし
だからそれは別にいいけど、気付かなかったこっちも悪いし。
ただ今までにも他の先生来てるけど、普通にそこらに止めてるからね。
駐禁とか取られないから平気なんだけど。」

言いたいことがあるなら、ややこしくなるから
会社を通さないで直接言ってほしい、とも。

申し訳ありません、と、ひたすら謝り続けました。

強く出るべきだ、との御意見もあるのかもしれませんが
このようなお母様に対して
エネルギーを遣う気になりません。
とりあえず、少しでも波風立てずに終われたら
それでよいように思います。

今まで、いくつか問題を感じるご家庭もありましたが
それでも恵まれていたのでしょうね。
今でも、お母様に悪く思われている風はないですし
悪い状況ではないのでしょう。


それにしても疲れましたね。
正直、駐禁を取られる可能性が低いなら
もう、路駐でいいか、と思いました。
最悪、駐禁を取られても
毎回、嫌な顔をされながら車を移動していただいたり
理不尽な会社や保護者とやり合うよりも楽な気がします・・・。

三月までの契約なので残り十数回ですし
授業だけは最低限しっかり行って、お母様には頭を下げて
こなしていくのみですねー。
これで駐禁取られたら、授業料吹っ飛びますが
この会社とは契約すべきではなかった、という高い授業料だったと思えば
それも良しかもしれません。
このご家庭との契約が長期だったり、また他の質の悪いご家庭でトラブルに巻き込まれる前に
この程度で済んで良かった、と(笑)
生徒さんは、良くできるし、教えやすいいい子ですしね。



さて。話を変えまして。
今日は。
記念すべき?4周年でした。

あの日は12月の始めにしてはすごく寒い日だったのですが
今日は12月の割に暖かい一日でした。

今では思いだせることも減りました。
あの感覚を感じることもなくなりました。
もしあの時、あのままあの塾で何もトラブルなく過ごしていたとしたら
私は今頃、FCの一員として教室長でもやっていたことでしょう。

井の中の蛙のような傲慢さも持ったままで
過ごしていたかもしれません。

とはいえそれはそれで、きっととてもやりがいのある日々で
きっとあの頃の気持ちを持ち続けたままで、今を迎えていたでしょう。


けれど、今ある「今」に後悔もありません。
心臓に持病を持ちながら塾を経営する、A塾の塾長の役に立てていること
きっと、塾長が定年すると決めている2年後まで、勤め切れるであろうこと。

家庭教師で、多くの生徒達に出会えたこと。
無理だ、と思われていた志望校に合格を果たせた生徒達がいること。

1年目に担当したAちゃんは、オール2にも満たない成績からのスタートで
志望高校への進学を果たしましたが、この秋、大学進学を決めました。

あんなに無気力で、そして「勉強嫌い」「学校とかホント嫌だ」「高校行かない」と言っていた彼女が
大学に行く、という選択をするとは思ってもみませんでした。
当時、彼女のお母様は
「本人は、高校行かないって言ってますけど…。私としてはとりあえず高校どこでもいいから
行って欲しいなと。辞めるなら辞めてもいいから…」と言っていたのを覚えています。

それがまさかの大学進学。

彼女の人生の一部に、ほんの少しではあるかもしれませんが
役立てたのかな、そんな感触を持っています。

「春休みにでも久々に会おう」そんな約束をしています。

あの年は塾も、そして恋愛も、全てを失った年でした。
全てが、ゼロからの再出発でした。
けれども、4年かけて積み上げてきた日々の中で、どちらも再び手にすることができています。

あの頃、思っていました。
過去は変えられない。
けれども未来は変えられる。
一歩一歩、一歩だけでも進んでいれば、気付いたらきっと遠くへ辿りついている。
だから、今はどんなに辛くても悲しくても、毎日、謙虚に、誠実に積み重ねていけばいいんだ、と。

その結果は今ここにあるような気がしています。

そして今日からまた新たな一歩を踏み出して
来年の今日にも、悔いのない日記を書けるように。
謙虚に、そして誠実に歩みたいと思います。




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時は経ち… [B塾を辞めて…]

昨日、T先生と食事をしていました。
その時に聞いた話。

「この間、突然、M(B塾時代の生徒。呼び捨てではなくニックネームの省略。T先生がずっと担当し、私も担当したことがある)から
電話がかかってきて」

「わあ。懐かしい!なんだって?」

「大学に受かったって!!M大の理工学部だって!!」

「わああ。頑張ったねえ」
地元では、中堅の私大です。

「それで、久々に会ったの。先生、なんかおごってよ、って(笑)コンビニで待ち合わせたんだけど
誰かわかんなかったよ。背も伸びてイケメンになっちゃってさ」

あれから4年。
当時の中2が、今は高3で、受験生。

Mは。
彼が中1の最初、まだ私が研修中だった頃に、アルファベットを教えた記憶があります(笑)
その後、彼らが中2の頃、彼は、新人の講師の指導が全くわからない、と彼女の授業を拒否して、
クラスを変わり、私が文系教科を担当していました。

文系教科が苦手と言う彼は、時に反抗的な態度も見せる生徒でした。
当時の私は、生徒達が良い点数を持ってくると、彼らの笑顔が単純に嬉しくて
一緒になって心から喜んでいました。

けれどもある、定期テスト後に、彼は憂鬱な顔で教室に入ってくるなり、言いました。

「先生、ごめん。俺、先生を悲しませるよ」
「ん?」
「英語の点、悪かったんだ。でも、次は頑張るから。次は頑張って先生を喜ばせるね」


彼とのエピソードで心に残っている出来事。

大人びた面のある子でもありました。こんなことを言われたこともありました。
会話の中で、いつかMの○○な姿(詳細を忘れましたが)を見たいわ、と言った時。
「どうせ、口先だけだろ?そう言って、みんな辞めてくんだって」
「私は辞めないよ。」
「なんで?」
「だってこの仕事もM達のことも大好きだもん。少なくとも、M達が卒業するまでは絶対いる」

ホントに~~?と言いながら、少しはにかんで笑ってくれた姿を忘れられないのは
その後間もなく、辞めることになったから…。

何度も思い出しては涙した、記憶のひとつ。

その後、私が辞め、年が明けて、T先生も辞職。

その後の生徒達については当然のことながら
私たちはあまり知りません。
Mは、T先生と食事をしながら、その後の話をしたようでした。


Mちゃん(私が家庭教師をしていた元B塾生徒)からも聞いた話ではありますが
B塾は講師の質がガタ落ちになったとか。

Mも、それに不満を覚えた一人だったとのこと。
「○大の先生で、何聞いても、それわからん、ってそればっかで」

担任を変えてくれ、と言っても、変えてくれなかったと。
講師不足で、変える余裕がなかったのでしょう。

当時、彼らは中3。
そして、MはB塾を辞めたそうです。
その後、時には手も出される、という厳しい塾に転塾し
無事、志望校に合格したとのこと。

「あの時、辞めてよかった」と彼は言ったそうです。
「あのまま、塾にいたAは高校落ちたし」

その当時、彼には付き合っている彼女Aちゃんがいました。
Aちゃんも塾生で、能力も高い子だったのですが
彼女は結果として、最後までB塾にとどまったそうです。
彼らが中3の夏、T先生が彼らに会い、憤慨して話したことがありました。
「あの塾(B塾)受験勉強の仕方も教えてない!!Aちゃん、ものすごく
見当違いな勉強してる。もう…塾代わればいいのに…」

やりきれない、と言った表情で、T先生はため息をついていました。
私から見ても、落ちるような高校ではなかったのに、Aちゃんは高校受験に失敗し
滑り止め校に進学したと聞きました。

私たちが塾を辞めた後。
生徒達がどうなったのか、ほとんどの生徒の行く末を、私たちは知りません。
辞めた私たちに、知る資格もないでしょう。

高校で人生が決まるわけではないけれども、大きな変化があります。
生徒の人生に、責任を持てる塾だけに存在して欲しい、それは
あの頃も今も変わらぬ思いです。

「あの塾、まだ潰れてないよ」
T先生は昨日、そう言いました。

それはともかく、高校入学後、M大の推薦枠があると知り、それに向けて、部活に、勉強に、と
励み続けて、ようやく手にした合格。
Mおめでとう!!
実り多い大学生活を!!

そして、今や高3となっているあの年の中2達が、
家庭教師初年度の、Sちゃん、Aちゃんが無事、希望の進路を掴めますように。






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 [B塾を辞めて…]

夏が終わり。秋風が吹いて。
二年生の数学が、一次関数に入って。
三年生の英語が、後置修飾に入って。

思い出さなかったわけじゃない。

むしろ、一日も忘れることができなかった日々から
「思い出す」状態になった。

今や、何年も前の思い出にすぎないと思っていた。

それなのに。
夢を見た。


夢の中で私は。
当時一緒に勤務していた、ある先生に再会していた。
彼女は、私と同じ頃にあの塾に入った。
一緒に研修を受けて、
初めて月末の報告書を書く時には、分厚いファイルを引っ張り出して
夜中までかかって報告を書いたことを思い出す。

夢の中で私は。
彼女に連れられて、塾へ向かう。
夢の中の彼女はこんなことを言っていた。
「なんだかんだで、ずっと勤めているんです。生徒も変わりましたし
塾長も代わって、雰囲気も変わりましたよ」

夢の中の塾は。
あの教室ではなくて、どこか知らない場所だったけれど。

夢の中でさえも私は思っていた。
謝りたい・・・と。

5人の生徒の第一志望合格を経て
区切りはつけたはずだった。

それでも夢に出る。
そんな日もありますね。
もうすぐあれから数度目の冬です。
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辞職から三年 [B塾を辞めて…]

今年もまた、この日が来ました。
あれから三年が過ぎました。

あの頃とは、生活は大きく変わりました。

塾だけではなく、プライベートでも。

あの夏、私は結婚を考えていた彼氏と別れました。
全てが理想的な彼で長く穏やかな付き合いを続けていましたが、唯一つ、彼の仕事の関係で、
私の住む場所を遠く離れなければならないことだけが懸念材料でした。
しかし、その唯一の懸念を私が払拭さえできれば、「結婚」が目の前にありました。
結婚しようと言ってくれた彼、そしてそれを応援してくれていた両親。
当時27歳でした。

結局、別れたわけですが、その理由の一つに
「塾にい続けたい」そんな思いがありました。

けれどもそれから半年もたたないうちに思いがけず塾を辞めることになった私は
大切にしてきたものを全て失ったのでした。

それからずっと先の見えない道をただただ
歩き続けていた気がします。
何をしてもあの頃とは違う。
あの頃の充実感がまるでなくて、空虚な日々でした。

ドラえもんがいたらと真剣に思いました。
タイムマシンに乗って過去に戻れたらと何度思ったことか。

その次の段階では
忘れたい忘れたい・・・忘れたい・・・そう思ってきました。

失った塾も失った恋も
ずっと引きずってきました。
忘れたことがありませんでした。
後悔だけを抱えてきました。
前を向いて歩かなきゃ、どんなにそう思っても
やはりふとした瞬間に、振り返ってしまうのでした。

それでも、この三年の間に
少しずつではあるけれど、忘れられる時間が出来てきたと思います。
毎日思い出していたものが、思い出さない時間が出来て
その間隔が少しずつ空いて・・・。

あの頃のように、熱く語ることもなくなりました。
熱い想いを抱くこともなくなりました。
それでも今年もまたまもなく、T先生やS先生と恒例の忘年会です。
あのときの絆は今も続いているし、全てを失ったわけではなくて
今尚続くものは確実にあります。

三年経った今だからこそ、残っているものを実感できる。
そんなことを思います。

あれから三年。
長かったのか短かったのか。

三年前の今日は、お天気が悪くて
最後に塾の扉を閉めた時には
冷たい雨が降っていました。
傘を持っていなかった私は、冬の雨に打たれていました。

今日は、穏やかに晴れています。













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