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遭遇 [B塾を辞めて…]

ここ2週間ほど、プライベートが不調です。
お陰で?体調も崩していたのですが(笑)
日常生活は送っているものの、どんよりした気分から抜け出せずにいます。
そんなわけで、昨日は仕事後、ふと思い立って無目的に車を走らせていました。

延々繰り返し聴いている音楽をリピートさせながら
隣市方面へただ直進。
考えても答えの出ないような問いを繰り返しながら、ひた走り
途中で、道を折れました。

その道は、B塾へと続く道でもあるのですが
その時の私は特に気にしていませんでした。

が。

時間が悪かった(泣)
塾近くで塾長を見かけてしまいました。
辞職以来です。

気分転換のつもりが、余計どんより(笑)

気持ちがそれるからいいか・・・と
自分に言い訳をしながら
更に車を走らせ、最終的には地元へと戻ってきたのですが。

ここでもう一人、思い出深い生徒を見かけてしまいました。

Bくんです。
ブログにも再三書いたBくんは、繊細な子で、当初、私の存在も全く受け入れてくれませんでした。
けれども、紆余曲折繰り返し、2年目には、心を開いてくれた彼。
けれども、他講師とはうまくいかず、いつも私と授業や自習をしていました。
自分だけに心を開いてくれる、というのは正直、嬉しかったですし
Aくんとの重なるトラブルの中、「あいつ、なんで反抗してるの?俺が代わりに授業受けたいし」
そういってくれる彼の存在は救われるものでもありました。

辞職当時、大丈夫だろうか・・・と心底気になった生徒でした。

高校生になった彼を久々に見ました。
私の地元の高校の制服。
懐かしかった。
溢れるものがあった・・・。

一瞬でも、プライベートを忘れることができたのは
ある意味、ありがたい遭遇だったかな。
自転車で走り去っていく彼の横顔に、思わず幸せを願いました。





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確実に時は過ぎていて [B塾を辞めて…]

久しぶりに、T先生に会いました。
今春、社会人になった彼女と会うのは数ヶ月振りでした。

夕方には、友人と訪れていた、昨年のMちゃんのお兄ちゃんの通う学校付近の大型ショッピングセンターで
Mちゃんのお兄ちゃん(元生徒)に会いました。

あの塾で出来たいくつかの縁は今も変わらず続き
特に、T先生のような、年齢は違えど会えば変わらず話せる友人を得られたのは最大の収穫です。

その一方で。
あの塾で過ごしていた日々も確実に過去になっていると思います。

T先生と会えばやはり、何かの折に当時の話が出ます。
当時、T先生が密かに特にかわいがっていた生徒が数人いて、彼らの名前は毎日のように
聞いていましたし、そのうちの一人のことは、このブログに書いたこともありました。

けれど。
何かでその生徒の話をしようとした時、名前が全く出てきませんでした。
「誰だったっけ・・・えっとさ」
「○くん?」
「じゃなくて」
「●くん?」
「でもなくて」
「△くん?」
「そう!その子!」

他にも何人かの名前が出てこなかったこと。

担任していた生徒の名前すら、思い出そうとしなければ出てこなかったり
もう思い出せなかったり。

きっと彼らにとってもそうであるように。

そう。
一部の出来事を除いては、もう本当に遠い過去のこと。
ほかの塾で働いた記憶と同じように消えていく思い出。

ただたったひとつの後悔故に、私の中だけで、強く強くいつまでも残り続けるだけ。

私の中で忘れられない出来事であっても、向こうはもう覚えていないかもしれない。
私のことも、何かの折に、あんな人がいたと、
ちらりと思うだけかもしれない。

ただ、私だけが忘れないというただそれだけのこと。

そして私自身、たったいくつかのエピソードを除いて

もう辛かったことや、苦しんだことはほとんど思い出せない。
想い出はいつも綺麗。
そんないつかの歌の歌詞を思い出しました。

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叶えたかった夢を想う [B塾を辞めて…]

三年前の10月だったか。
大手予備校への転塾をやめてB塾に残ることを選んでくれた生徒は言った。
「先生、受かったら好きなものおごってくれるんでしょ?」

授業中、振り向いて笑ったその顔を今も忘れられない。

彼は、上位だった成績が徐々に落ちていた。
それと共に、精神的に不安定な行動が見られることを、他生徒の報告から知った。
密かに心配していた。

夏休み、大手塾に通った彼は、そのまま大手塾への転塾を考えていたという。
塾長からそれを聞いた私は
「ええ?やめちゃうんですか。一緒に授業できなくなるの寂しいです。」そういった。
それは、私の本心だった。
塾長はそれを、保護者と彼に伝えたらしい。

「先生が言うから、仕方ないから残ってやるわ」 そういわれた。

それから2ヶ月で私はやめた。
辞めた時の数え切れないほどの思いの中で、リフレインして突き刺さるせりふのひとつが彼のものだった。

その年、夏には夏期講習に来た彼の妹を短期で担当していた。
「楽しかった。先生と授業したい。塾に入りたい」そういってくれたという彼女を二度と見ることはなかった。

あの年あのクラスで、
高校に受かったら好きなものをおごってあげる、と約束していた。
塾講師としてそれがよいことであったか、無責任なことであったか
倫理的なことは今は横においておくとして。

それは、私にとっては2年前の春の最大の夢だった。
何度も襲ってくる試練を越えるための最大のパワーだった。
大切な生徒達の最大の笑顔をみること。

叶わずに迎えた春から2年が過ぎた。

Mちゃんの家庭教師をはじめた時、心に誓った。
絶対に志望校に受からせてあげたいと。

たぶん、B塾の塾長は気付いていたはずだ。
私が家庭教師をすることに。

その頃はプライドもあった。
成果も出してきたはずの自分を切ったことへの思い。
あらぬ疑いをかけられたことへの思い。
尊敬できる講師達もすでにいないB塾よりも
自分の方が結果も出せる、そんな思い。
B塾で迎えた結末は、自分の未熟さゆえのことでもあったものの
それでもやはり、「見返してやりたい」
そんな思いがあったことを否定は出来なかった。

明日、私はMちゃんとランチの約束をしている。
「好きなものをおごってあげる」という約束は
2年の時を経て、別の場所で叶おうとしている。

2年の時を経ても、思いが消えることはない。
けれども、Mちゃんと共に春を迎えられることは今、純粋に嬉しい。














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思い出した [B塾を辞めて…]

今日はA塾に、新しいバイトの子が来ており、
様々なことを思い出しました。

明るく挨拶をしてきた彼女に、軽く自己紹介を返しながら。

基本的にA塾のアルバイトは少ないですが、
アルバイトと親しくしたり、必要以上に話すことはもうないですし
二度とする気もありません。

ひょっとしたら、彼女には私の態度は冷たく見えたかもしれませんが。

そんな中、T先生から
「今日、△先生に遭遇したよ!」とメールが届きました。
△先生は、当時一緒に働いていた先生で、私より数ヶ月後に塾に入られました。
雰囲気のいい先生で、教え方も上手く生徒に人気のある男性講師でした。

私とは、担当生徒数最大を競って?おり、月末には
「報告書終わりましたか?」がお決まりの会話でした。
担当生徒数が被ることも多く、私が今も思い続けている三年生のクラス
で理系教科を担当していたのが彼でした。
そして、辞職の日、最後に顔を合わせた講師が彼でもありました。

「今度は、OG会にゲスト出演してね、って頼んでおいた(笑)」とT先生。

今も忘れられない言葉があります。
辞職した日の夜中のことでした。
T先生とファミレスにいた時。T先生の元にかかってきた一本の電話。
△先生からでした。
「エイミー先生、何があったんですか?どうなってるんですか?」そう問いかける電話でした。
電話を代わった時、会話の中で、△先生は言ってくれました。
「Aくんは、エイミー先生がよかった、って言うんじゃないですかね」

ただその一言に。
その時どれだけ救われたか。
それまでの塾生活の中で、何よりも大きな出来事で、だからこそ
その最後の瞬間に、それを、受け止め、嘘でもいい、口にしてくれた内容と思いに、涙すら出ませんでした。
たった一言が、人を救うことって確かにあるものだとその時、感じました。

人は人によって傷つくけれど、人によって救われるものなのですよね。
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2年目の命日 [B塾を辞めて…]

二年前の今日は土曜日でした。

日が暮れる頃、B塾の見慣れた室内で、私はあふれる涙が零れ落ちない様
天井を見上げていました。

塾を出て、ふと気付くと、雨が降り出していました。
寒い夜でした。
携帯を握り締める手も、声も震えていました。

「塾、辞めて来た」
真っ先に電話をかけた相手はT先生だったでしょうか。
「は!?」電話口の向こうの驚きと、
まるで夢の中をさまよっているように、どこか遠くから聞こえた自分の声。

大通りを走る車のライトが滲んで消えていった夜。

あれから二年が経ちました。

必死で歩んできた二年でした。
人は、もう二年も経っている、というかもしれません。
所詮、塾の辞職だ、と思うかもしれません。

よく言われるのは「失恋みたいなものだよね」という言葉。

「そうじゃない・・・」
そう否定するには、私のボキャブラリーは余りにも貧しくて、
思いのたけを言葉にすることはできませんでした。
そして、私だけが抱え続けている思いだということもわかっていたからでしょうか。
思い出が美化されるということもわかっていたからでしょうか。

1月が過ぎ、2月が過ぎ。
一年が過ぎ、二年が過ぎました。
毎日は、有難いことに、ほぼ平穏に流れています。

生徒達からは、今も喜びをもらっています。
生徒達の成長を見られることは、今もかけがえのないこの仕事の財産です。

けれど、心が震えることはありません。

それなのに。
胸を締め付ける痛みだけは
変わることなく、この胸にあります。

生徒への接し方も変わり、
思いも変わりました。
あの頃、誰にでも無我夢中で塾の話をしていたような気がします。
ドライブ中の車の中でも、食事に訪れたお店でも。

あの時があったから今がある。

今はまだそう思えません。

あの時があったから今がある。
そう思えるようになりたくて、この世界にい続けているのだと思います。




そしてひとつだけ叶わぬ夢を語るならば。
いつか会いたい。そして心から謝りたい。あなた達に・・・。

せめて、今日だけは夢を語らせてね。
高校に受かったら何でもおごるよ、といった春の日への夢。
いつか叶えられたなら、いくらでも出すよ。

そう、いつだったか、「いつか、会えたらいいね」
そう言ってくれた人がいた。
同じ塾講師経験者だった。
たったそれだけで、涙があふれたことを覚えている。

行きたい国はたくさんある。
欲しいものもある。
やりたいこともある。
そのほとんどが、お金を出せば叶うけれど。

どんなに大金を積んでも叶わぬ夢がある。
シンデレラみたいに、あと一時間半だけ、夢を見させてね。

春が来なかった年に描いていた春の日の夢を。




※ 今日、ホームページをある程度、形にすることができました。
この場にURLは貼りませんので、ご覧いただける方はプロフィール欄より私宛にメールを頂ければと思います。
(個人が特定されるおそれがあるため、全ての方にお伝えできるかわかりませんが、ご了承ください。)

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OG会 [B塾を辞めて…]

B塾での私の勤務2年目の春から今に至るまで、一年に1~2度のペースで続いている飲み会。
今では全員が塾を辞め、それぞれの環境で頑張っています。

参加者は、T先生、S先生、H先生、そして私。
今となっては、恋愛ネタ、教育ネタから社会ネタまで何でもあり。

S先生の指導力に衝撃を受けた出会いから4年近くが過ぎ、それなりに経験も積みました。自信を持てる部分も出てきました。そんな中でも、やはり私はS先生に尋ねてしまいます。

「計算ミスが多い生徒なんですが、とにかく毎回意識させるべく注意を繰り返してるんだけど…。」
「それでいいと思いますよ。その計算ミスでどれだけ点数を失ったのかを具体的に提示していくといいね。一番ダメなのは、計算ミスで損したね、って言うだけの講師。」
「例えばテストで、実際に失った点数分の点を加点して、計算ミスがなかったらこれだけとれたね、ってやってます」
「うん、それでいいと思うよ。もちろん練習量もあるけど、その生徒のタイプは完全に注意力不足だから、とにかく毎回、計算ミスがいかに馬鹿馬鹿しいかを本人に繰り返し伝えて、意識させていくことだね」

自分の方針や続けてきたこと。
S先生が認めてくれると、心強い。
そんな思いは在塾当時から変わりません。
年齢はS先生よりも私のほうが上なのですが・・・S先生の前では、研修を受けていたあの頃に、ふと戻る気がします。

B塾での最初の一年は、S先生を追い続けた一年でした。

B塾のオープニングメンバーだったS先生とH先生は、2005年秋の開塾当初からのメンバー。
それから間もなく入ったのが、N先生。
続いて数週間の差でT先生。
その後一ヶ月の後に、B塾校舎における研修講師1号として入ったのが私でした。
同時期には私以外に二人の講師が入り、ここまでが開塾年のスタッフでした。

年が明け、春が近づく頃に入ってきたのが学校の非常勤講師としての勤務が決まっていたSK先生。
S先生の友人だった男性講師。

この年はすごかった。
今振り返ってもそんな平たい感想しか出てきません。

以下はかつても書いたような内容ですが…。

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捨てたはずの思い出 [B塾を辞めて…]

家庭教師先に向かう際、私は自分のバッグとは別に、教材を入れたサブバッグを持って移動しています。
これは、塾講師時代から変わらず、ハロッズやアフタヌーンティーの物を使っているのですが…。

出掛けに、プリントを綴じる為のホチキスを内ポケットに入れ、生徒宅付近で取り出そうとした時、ホチキスではない感触に触れました。

・・・何だろう??

取り出したそれは、綺麗に折り畳まれ「エイミー先生へ」と書かれた可愛らしいメモ用紙。
記されていたのはB塾時代の担任生徒Eちゃんの名前。
Mちゃんと同じクラスで、小学校の時から担任していた辞職当時中一の生徒でした。
Eちゃんからは、辞職後、1度だけ手紙が送られてきました。
「先生がいない塾なんてなんかすごく変な感じだよ。さみしいよ。先生塾に遊びに来て」
そんな内容だったことを覚えています。

さて。
「先生、お誕生日おめでとう。昨日(昨日が誕生日だったのでしょう)塾いけなくてごめんね」で始まるその手紙は、辞職した年の夏のもの。

忘れていた記憶が一気に蘇る瞬間。
その手紙と一緒にもらった、イニシャルの入ったストラップ。
辞職間際に、請われて彼女の三者懇談に同席し、勉強法について話したこと。
その翌日、「先生、やったよ!」と見せにきてくれたノート。

その成果である、期末テストの結果を知ることなく、私は辞職してしまったのですが…。

Eちゃんは、人見知りをする子でした。
2年目の春、彼女を最初に担当した新人講師がすぐに辞職してしまい、N先生が代理担当となって入った時、N先生の前で、無言のまま泣き出した彼女。

何かを彼女に話して出てきたN先生が少し困りながら話してくれました。
「せっかく仲良くなっても、N先生も夏には辞めちゃうんでしょ。だったら話したくない。」と泣いたと。

その後、N先生の後に入った講師と話せるようになったのに、その講師は私の辞職直前に辞職。(その先生の辞職が私の辞職の直接の原因でもあったのですが)その時、塾に来る私を待ち構えていた彼女に言われたセリフを覚えています。
「先生~、○先生やめちゃったよ。なんでやめちゃったの。せっかく話せるようになったのに…。エイミー先生はやめないでしょ?」
「ええっ?○先生やめちゃったの!?私はもちろんやめないよ、大丈夫だよ。」

まさか辞職するなど夢にも思わず笑って答えた私。
彼女の寂しそうなすがるような目と、○先生が辞めたことが残念でならなかったその時の思い。
そのたった二日後に辞めた私。
その時に、爆発しそうなたくさんの思いの中で、リフレインして止まらなかった場面と鋭いナイフとなって突き刺さる言葉のひとつでもありました。

最近のMちゃんの話によれば、「なんかEも塾やめたっぽいよ。」とのこと。
あれから二年が過ぎて、彼女達も受験生。どこかで頑張ってくれていることを祈っていますが・・・。

辞職後。
生徒からもらった手紙も、プリクラも、生徒の文字が残る大量のオリジナルプリントも、あの塾にいた痕跡は全て捨てたはずでした。
それでも時々、予期しなかったところから顔を出す思い出達。

まもなく、あの誕生日からも二年が経とうとしています。




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面接のネタ [B塾を辞めて…]

昨日は、就職活動真っ最中のT先生とお茶。

「エントリーシートでさ、学生時代頑張ったことは?っていう項目、全部、塾なの。いくらでも書ける。面接で聞かれてもいくらでも答えられるし、あれだけ考えてやったから、どれだけ突っ込まれても困らないしね」

「この間は面接で、塾のこと話してたら、泣けてさあ」
面接官もさぞかし、驚いたことでしょう(笑)

エイミー「どんなこと聞かれるわけ?」
T「昨日はさ、いろんな生徒がいると思いますが、どんな生徒がいて、それぞれにどう対応していくんですか?って聞かれたのね」
エイミー「得意分野だね!(笑)」
T「まずは成績を上げるとかそういう問題ではなく、イスに座らせることからなんです!(笑)ペンを持たせることからなんです!って(笑)そういう生徒達を、ムリヤリ座らせても仕方ない、一人一人と会話しながら、必要な時には叱って、褒めて…(笑)」
彼女は言います。多くのことを学んだ、と。
そして、悩み考えたことが、今、役立っていると。

塾のことだとさ、話しすぎちゃうんだよね。
そうそう、ネタが尽きないんだよね。
あんなことあったよね、こんなこともあったね、と。
互いに、同じ場所で見てきたシーンを、何度振り返っても笑いがこみ上げて。
教室で、互いに顔を見合わせて笑った時と同じ表情で、今も何度でも笑っています。
互いに同じネタでこれだけ、何度も笑えるというのもそうはないことでしょうね。
それだけ、濃密な時を過ごしたということなのでしょう。

そして何事も。
頑張ったこと、悩みぬいたことは、振り返った時、糧になっている。大きな財産として残る。
そんなことを思います。
正直、T先生が教育業界に留まらないのはもったいない気がしてしまう私なのですが。
彼女なら、どんな世界でも活躍していくことと思います。

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何もできないけれど [B塾を辞めて…]

風邪と私用でのお休みが重なり、B塾を辞めて担当することになったMちゃんの授業は12月末までお休み。
そこで、メールでテスト結果を聞きました。

「上がったよ!英語は下がっちゃったけど、他は上がった!五教科合計も上がったよ!」

よかった…。正直、Mちゃんの成績に関しては、純粋な喜びだけでなく、プライドがあります。今年、B塾で下がってしまった成績。私に期待していただいて家庭教師を始めたからには下げるわけにはいきません。けれど、前回の成績アップに続き今回も上がっていたことで一安心。

先日、問題を解きながらMちゃんがふと漏らしました。
「あそこの塾ってさ、成績上がらないよね。うちの学年の子、みんな言ってる。あそこは上がらないって。」

夜、家庭教師を終えて、車に戻り携帯を開くと、A君からのアドレス変更メールが届いていました。
「変更連絡ありがとう。受験シーズンだね。頑張ってますか?」
「全然」

えーーー…。
「頑張ってよ。公立受けるの?」
「もちろん。当たり前!」

たった今、入試対策のための授業を終えてきた私。

夏にも聞いています。T先生が会った元生徒。
「全然やってない。ダイエットと一緒で明日からやろうと思うんだけどねー」
夏休み終了数日前に、見せてくれたのは歴史の教科書を数ページまとめただけのノートで、それが彼女の夏休みの全てだったとか。
とことん気楽。

昨年の受験シーズンにも受験直前期のB塾のHPで、「生徒達は過去問を解いています」という記述を見つけ、ため息が出たのですが…。

私が愛した生徒達。もう何も出来ないし何も言えません。私は私の生徒達が志望校に受かるように全力を尽くすのみです。けれど、生徒の将来に無責任な塾が存在することが悔しい。ましてや、愛した生徒達の未来がかかっていると思うと。

古くからの住宅が多い私の中学校区にはA塾を含め、昔からの信念ある塾も多くあります。またB塾学区方面とは逆の隣中学校区には各個別チェーン、予備校が勢ぞろいしており、塾は選びたい放題です。一方、逆側の隣の中学校区である、B塾の学区は新興住宅地。けれど、B塾学区には数えるほどしか塾がなく、決して質がいいとは思えないチェーン塾などがあるくらい。立地的に、B塾に人が集まるのも無理はなく…。

彼らにはもう何も出来ないけれど、少なくとも私が今受け持っている生徒達に悲しい思いをさせることがないように、全力で合格を掴みにいきたいと思います。




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一周忌 [B塾を辞めて…]

ついにこの日が来ました。同じ季節、同じ日。私がB塾を辞めてから一年が経ちました。

抱え続けてきた苦しみは和らぎました。未来への思いも、感じることが出来るようになりました。家庭教師という場で、あの日々とは違った形ではあっても、やりがいを見つけることも出来ました。

一年前のあの日…未来なんて見えなくて、今日という日が来ることを想像すらできませんでした。

最愛の生徒達を失ったこと、そしてやりがいを失ったこと。居場所を失ったこと。

そして、何よりも、大切に大切にしてきた三年生をこんな時期に放り出したこと…。

夢でした。三月に、彼らの笑顔を見ることが。塾で辛いことがあった時もいつでも、想像していた三月の春の場面。きっと笑顔で真っ先に報告してくれたに違いない…。

「受かったら飯おごれよ。」「何おごってくれるの」

夢でした。あなた達と笑いあうことが。そして、四月にはまっさらの制服姿で塾を訪れてくれて笑いあえる…。そんなあなた達の姿を見ることが。

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